| 1 競技会場で |
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スポーツダンスの競技会場でのことである。競技会場の外の喫煙場所で、競技審判員と競技選手が談笑していたと競技仲間が言っていた。
競技する者とそれを評価する者とが知己の間柄であった場合、競技結果に情実が入る印象は否めない。ダンスの評価は競技審判員の主観で行われるため常に批判がされやすいものである。
競技ダンスの評価は競技者の比較で行われるものであるから、比較する選手が同じような技量の持ち主であると印象を受けた場合、知己の者にポイントを入れるのは否定できないであろう。それが競技前に審判員と競技者が知り合いだと他の競技者の知ることとなると、他の競技者はやる気をなくすのである。「あ〜ぁ、今日は背番号○○の誰々さんが入賞か〜」と落胆の声が聞こえてくるのです。
話題の選手が入賞すれば、「親戚がいる人は良いな〜」と競技の結果が正しくても、批判の対象となって競技結果が信用されなくなってしまうのです。誤解を招かないように、競技前や競技途中で、競技者と審判員がすれ違いざまの挨拶は別として、立ち止まって談笑するのは避けるべきではないでしょうか。 |
| 2 パーティ会場で |
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僕はほとんどダンスホールに行くことはないのだが、練習会場が休みであったために、パートナーに誘われてダンスホールに行ったことがある。会場には知り合いがいて、年配の女性を指して、「彼女はダンスの審査員だってよ! 時々来るのよ!」と教えてくれた。その彼女は、小柄で普通のおばさんに見え、踊ってくれる男性を捜しているように見える。たまたま相手になる男性がいて踊ったが、相手が上手でないせいか特別に上手には見えない。
レベルが高ければ相手がレベルの低い人と踊っても綺麗に見えるものだ。しかし彼女には特別に見えるものは感じられなかった。彼女のような人に審査をして欲しくないなーと思っていたが、ある日の競技会で偶然に、競技会場の審査員として紹介されたので驚いたことがある。
何かの本で読んだことだが、江戸時代の両替屋の小僧は小判しか触れなかったそうだ。それは常日頃から良いものを見ていれば悪いものに気がつくからだという。このようなことは絵画、焼き物、骨董、音楽等でも良く言われるものだ。経験や知識・教養に加えたゆまぬ研究が真贋を見極めるものだ。程度の低いものを見ていると良いものが分からないのだ。
楽しむダンスをするのであれば場所を選ぶべきだし、場末のダンスホールで品格の高い踊りは望めまい。何よりもそのような場所で踊って楽しいのだろうか。競技ダンスの練習でレベルが上がってくると遊びに行っても面白くないために遊ぶ人は少なくなってくるものだ。
そのようなホールで審査員が踊っているのはレベルが高くないと思われても仕方のないことではないかと品性を疑ってしまう(そのような場所に行った私の品性も高くはないな(^_^;))。審査員は遊んでは駄目なのかと言われそうだが、人を評価する立場に立ったときに、その立場に必要な知識・技能と教養を身につけ努力が必要であるし、何よりも高潔であるべきだ。そういう意味である程度の制約がかかることを覚悟すべきものと思うが如何だろうか。 |
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