"> ボールルームダンスの資料室(ダンス講座:ダンスの歴史)

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ダンスの歴史 (1)


年月 日本 諸外国 備考
1853(嘉永6)   ・黒船・久里浜に来航
1858(安政5)   ・日米修好通商条約によって横浜が開港された。
1860(安政7)
/(万延元)
(3/29)日米修好通商条約の批准書を携えた徳川幕府の遣米使節が、米国国務長官キャス主催の舞踏会に招待された。
   
1862(文久2) ・日本人が国内で西洋人の踊りを見聞した最初の年
   
1867(慶応3)     (11/9)大政奉還
1863(文久3) ・横浜オランダ領事館で夜会開催
   
1867(慶応3) (4/1)パリ万国博に出展した幕府の使節一行が舞踏会を初めて見た。
   
1871 ・特命全権大使岩倉使節団
   
1879(明治12) ・東京・三井銀行で日本人主催の日本人主催の西洋風夜会開催された。
   
1881(明治14) (1月)鹿鳴館の建設工事開始(場所:現在の千代田区内幸町1丁目)
   
1882(明治15) (11/3)天長節に、井上外相主催のパーティが開催された。出席者は日本人紳士淑女で音楽は陸軍軍楽隊が務めた。
   
1883(明治16) (1/11)高田商会主催の新年会において『西洋風の舞踏会』が開催された。会場は木挽町の明治会堂

(7/7)東京山下門内の外賓接待所落成「鹿鳴館」と命名。名称の由来”鹿名”とは、中国の「四経」からとつた名。鹿鳴館スタイル=バッスルスタイル

(11/3)天長節宴会 井上 馨(いのうえかおる)
 楽式目第一から第六、演奏 雅楽録式部寮、参加者 1,500人(外国人を含む。)、仮装舞踏会
 川上音二郎のおっぺけぺ節による批判あり

(11/28)鹿鳴館が竣工・落成し鹿鳴館開館式を行う。当時の条約が日本に不利であったのを改正する運動の一環として、外国の使節や商人などを招いてダンスパーティが行われた(「鹿鳴館時代」という)。
   
1884(明治17) (6月)鹿鳴館で舞踏練習会が始まる

(6/12)鹿鳴館にて初めて婦人慈善会開催
   
1885(明治18) (6/29)前年10月以来毎月曜日鹿鳴館に開催の舞踏会第一期閉会式

(11/19)鹿鳴館の婦人慈善会に行啓
   
1886(明治19) ・神戸で天長節の舞踏会

・女子高等師範で舞踏の練習

(11/3)井上外務大臣招宴舞踏会開催、内外朝野の紳士1,700名出席
   
1887(明治20) (1/22)東京電燈社、鹿鳴館に初めて営業用電燈點火

・首相官邸の仮装舞踏会

(4/20)総理大臣伊藤博文、鹿鳴館で仮装舞踏会を催す。その醜態に民間有志激怒

(5/23)勝安房が「鹿鳴館婬蕩時代に於ける時弊廿一條」を内閣に建白

・世間の批判があり、鹿鳴館のダンスは禁止された。以後、ダンスは女学校の体育教材として女子だけで踊られた。
   
1892(明治25)   ・BATD(British Association of Teachers of Dancing)創立
 
1894(明治27) ・鹿鳴館、華族会館に払い下げ
  ・日清戦争
1903(明治36)   ・ESTD(Empire Society of Teachers of Dancing)創立
 
1904(明治37)   ・ISTD(Imperial Society of Teachers of Dancing)創立
・日露戦争
1907(明治40) ・大阪ホテル男女混交舞踏会開催
・NATD(National Association of Teachers of Dancing)創立
 

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